本法寺と曼荼羅寺の縁起調査

 富山市八尾町黒瀬谷の法華宗別院「本法寺」は、国重要文化財の大曼荼羅絵図が、新湊放生津の奈呉の海から引き上げられて正和五年(1316)の創立。開山は日順上人。昔から北陸道総末頭と定められ、北陸地方の 法華信仰の拠点として現在にいたっている。本法寺の縁起によれば、放生津浦の海中より出現の由来に併せて時の領主であった宮崎城の神保氏が本法寺に寄進したものと伝承されている。

一方、射水市立町に境内を構えている曼陀羅寺は浄土宗の寺院で、創建は鎌倉時代の建治年中(1275~1278年)伊勢の人満海坊が信濃の善光寺(長野県長野市)に参籠し、阿弥陀如来の結縁で一寺を設けたのが始まりと伝えられ、嘉元3年(1305)に則阿上人が中興し現在の曼陀羅寺に寺号を改称しました。創建は鎌倉時代末、建治年中(1275~78)。放生津の浜で法華経曼荼羅22幅が収まった流木を浦長大工屋清平が拾い上げ、小庵を建て自らも剃髪し名を具徳(満海とも)と改め是れを守護。この小庵を曼陀羅堂と称した。則阿上人は長野善光寺に参籠、別時念仏後念仏引通の為北陸路行脚の途中、この地にて具徳と奇遇。法然上人念仏易往の法門を聴くに具徳は則阿上人の篤信者となり堂を上人に譲る。後に是れを放生山具徳院曼陀羅時と改める。開基を具徳、開山を則阿上人とする。

 曼荼羅寺で守護されていたはずの「海中出現の曼陀羅図」が、南北朝の兵乱にまぎれてのことなのか、八尾町井田にあった本法寺に寄進されたのかは、史実としては明らかになっていない。            

 

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